せせらぎ公園の撮影マニアさん 美しい「カワセミ」を撮るために

自然を楽しむ

せせらぎ公園では、四季折々の表情が見られ、飽きることありません。
池の前にはベンチがあり、静かな時間を楽しむ人たちが見られます。
ワンコとベンチに座り、静かなひと時を過ごす人、そんな光景を見ているだけで癒されます。
私も出勤前のひととき、一眼レフを片手に、せせらぎ公園に立ち寄りました。

撮影マニア

撮影マニアが、翡翠(カワセミ)の飛来を待ちかまえています。
マニアさんたちは望遠レンズに三脚を構え、シャッターチャンスを狙っています。
カワセミが飛んできました!
あらら!私ったら、カワセミを撮らずにおじさん達を撮ってしまいました。(+_+)

一定の距離をとらずに野鳥を驚かしたり、他の撮影者の邪魔をしたり、マナーの悪さも問題になっているそうですが、ここ、せせらぎ公園の撮影者たちはこのとおり、譲り合い、整列!

 

鳩さんが上からマニアのおじさんを見守っています。
野鳥観察 バードウォッチング そんな趣味もいいな。

 

野鳥の多いところ

野鳥の撮影しやすいのは、やはり池があるところ。池があると、池に鴨類はもちろん鷺類も見かけます。他の野鳥もやってきます。
都筑区では、徳生公園や山崎公園、大原みねみち公園、そしてせせらぎ公園。

公園の野鳥は、山に棲む野鳥より人馴れしているので警戒心が薄いですし、視界が開けている場所が多いので野鳥も探しやすいです。

気を付けること、マナー

鳥を寄せるため、餌付けしたり、立ち入り禁止のところに入り込んだり、ストロボ撮影したり、良い写真を撮るために、周囲への配慮を欠いてはいけません。
鳥と出会うのは運ですから、その運や縁を静かに楽しむことが大事!

全くの鳥音痴だった私も
時折、公園でカワセミに出会ったりして
感動してからは、撮影マニアの気持ちが分かります。

野鳥は動きが俊敏で、人間を警戒していますので、良い写真を撮るのは難しいです。

バードウォッチングも楽しい

睡蓮の美しい「せせらぎ公園の池」まるでモネの絵のような美しさ

睡蓮を描き続けたモネ

唐突ですが、著名な画家モネの話をさせてください。
有名な画家モネは日本文化に非常に傾倒していて、膨大な数の浮世絵をコレクションし、自宅の屋敷に日本風庭園には水を引き「水の庭」まで作り上げました。この水の庭に浮かぶ睡蓮が、晩年のモネのモチーフとなり、睡蓮の連作に没頭させました。睡蓮の絵は200点にも及ぶそうです。
実は、晩年、モネは、失明寸前の状態にあったらしいので
脳裏に焼き付いた睡蓮を描き続けたんでしょうね。

モネの絵(Wikipediaより)

↑モネの絵(Wikipediaより)

私、油絵が好きなので、、少々絵について。。

一般的に絵の具は、パレットの上で色を混ぜると、鮮やかさを失ってしまいます。モネの絵は、絵の具の色のままを筆で塗っているように思います。
荒い筆遣いで塗った鮮やかな色が、少し離れて見ると色が混ざったように見え、鮮やかな葉や花の色で見えるというところです。
点描画が同じ原理だと思います。

↓実際のモネの庭(Wikipediaより)

せせらぎ公園の池の美しさ

突然、モネの話をしてしまいました。

思わずモネを思い出しましたわけとは
朝、せせらぎ公園に行き、睡蓮を見ました。

せせらぎ公園の睡蓮
↑ 絵画のように美しいせせらぎ公園 ↓
初めてせせらぎ公園に行ったときは(15年位前)睡蓮の見事さに感動した記憶があります。
せせらぎ公園の池を中心に、季節の花が美しく咲き緑道「せきれいのみち」が縦断しています。
池の縁には古民家があり、周囲の景色は池に映り、美しい景色を楽しめます。野鳥も多く、5月ごろには鴨の親子も見ることが出来ます。
せせらぎ公園

古代エジプトでは神聖な花なんだって、睡蓮は。
エジプトでは睡蓮は聖なる「太陽の花」
「睡蓮」という名の由来は、朝咲いて(起きて)夕刻しぼむ(眠る)から。
せせらぎ公園は四季折々の表情があることを知って、
すっかり、魅了されちゃった。

睡蓮の隙間に、コイやカルガモ、亀さんの姿を見ることができます。

だから、、水辺のベンチに座り、池を見ているだけで幸せ!
水辺の奥には、風情ある古民家もあり、様々なイベントも開催されています。
旧内野家の住宅で、江戸時代の建築だそうですよ。
朝の睡蓮、夕の睡蓮、時間によって変わっていく水面
モネは睡蓮の美しさに魅了されたんでしょうね。
モネを連れてきたいくらいです。
せせらぎ公園には、静かな時間が流れています。
アベイルの都筑区お散歩日記でした。

都筑区せせらぎ公園・私も千山を潤す雨のようになれたらいいな

心穏やかに

梅雨に入りました。

せせらぎ公園にも、雨はしとしと降っています。

せせらぎ公園の雨

 

新しい睡蓮の葉が水面を覆っています。

せせらぎ公園の雨

優しい雨、水面に広がる無数の波紋雨のしずくが落ちでは広がり、広がっては消え…静かに降る雨を見ていると、心が穏やかになってきます。
雨は塵埃を洗い流して万物を甦らせてくれるかのようです。
せせらぎ公園の雨

 一雨潤千山

「一雨(いちう)千山を潤す」という言葉がありますね。
一雨が、千の山に働きかけ、木々、草花は生気を取り戻します
雨は全ての生物に恵みをもたらします。
私も、千山を潤す一雨のようになれたらいいな。。
せせらぎ公園の雨
桜の葉に雨に雫、ぽたり。
柔らかな芽吹きの季節ですね。
雨のなかで樹木や葉は喜んでいるように思えます。
せせらぎ公園の雨
せせらぎ公園の雨

生憎の雨

「生憎(あいにく)の雨ですが・・・」という言葉がありますが
美しい風景を見ていると「生憎(あいにく)の雨」でもない気持ちになってきます。
雨の日も良いものです。。

早渕公園で花見 恐いほどまでの桜の美しさの理由は?

早渕公園の花見

お花見するならJUST NOW。

今、桜は真っ盛り。

早渕公園も然り、桜が満開に咲き誇っています。

櫻の樹の下には

梶井基次郎の短編小説「櫻の樹の下には」では

「櫻の樹の下には屍体が埋まってゐる!」という衝撃的なフレーズで始まります。

これほどまでの「桜の美しさ」には、理由があるのではないか。

怖いほどまでの「美しさ」には、対極的な理由があるのではないか。

作者の美しすぎる桜に対する晴れない疑念が「屍体が埋まっている」という理由付けで、作者の心の中で完結するわけですね、きっと。

少しですが理解できます。

そう謂わしめるほどの桜の美しさ。

神がかり的な桜の美しさ。

全てを包み込んで

桜の咲く時期は、入学、卒業、就職などいわば人の別れ出会いの季節。

そんなシーズンに、桜はドラマティックに咲き誇ります。

新生活への期待、喜び、悲しみや寂しさも、すべて包み込んで咲く花。

 

どんな桜も

桜の木の下で、お酒を酌み交わしどんちゃん騒ぎも良し・・・

静かに桜の花の美しさに想いを馳せるのも良し・・・

青空のもとでの花見も良し、花曇りも良し、夜桜も良し・・・

開花宣言の時期、数輪開いた桜も良し。満開も良し。花吹雪も良し。

日本人はいかなる桜でも愛してやまない。

日本人の「桜への想い」は今後も絶えることはないでしょう。

徳生公園の桜の木・人生の岐路の背景にはいつも桜があった

徳生公園の桜の木

どんな空のもとでも

徳生公園の池のほとりにある大きな桜が見頃です。

ほうら!見事でしょう?

今日は曇り空ですが、「花曇り」なんていう美しい言葉もあるくらいですから。

桜はどんな空の下でも美しい。。そうでしょ?

人生の岐路と桜

卒業や入学、出会いや別れ、就職、上京など、人生にとって大きな岐路、スタートのこの時期、桜はその背景になり、ドラマティックに咲き誇ります。

嬉しいことも、寂しいことも、桜の花と共に。

誰もが桜にまつわる思い出はあるのではないでしょうか?

私の小学校の入学式の笑顔の写真の背景には桜が。。。

森山直太朗の「さくら」

「桜」をうたった歌もたくさんありますが、とびきりこの歌が好き。

森山直太朗の「さくら」

♪♪ さくらさくら今咲き誇る

刹那に散りゆく運命と知って

さらば友よ 旅立ちの刻 変わらない想いを今 ♪♪

桜の散りゆく様を「刹那」と言っています。

別れの寂しさと、桜の儚さを重ねています。

パッと咲き、さっと散ってしまうその儚さ、潔さ。

桜の花に暫し散らずにいてほしい気持ち、友と暫し時を共にしたい気持ち、そんな想いが交錯します。

| 桜雨のち花曇り・・・お花見にお出かけになってはいかが? | アベイルの都筑区お散歩ブログ

↑これも見てね!

都筑区のお部屋探しはアベイルへ

冬枯れのせせらぎ公園の山茶花 紅をさすように咲く

冬枯れ

早いもので今年ももう1か月を切りました。

これからが冬本番、一年で一番寒い季節に向かいますね。

「冬枯れ」という言葉がありますが、燃えるような紅葉も色あせ、どんより曇った冬の日は、あたり一面まるで水墨画のような景色になります。

紅をさすように

そんな冬枯れの公園を、ぱっと明るくしてくれる花があります・・・山茶花の花。

華やかで、香りもよく、冬の季節を彩る数少ない花です。

寒々しいせせらぎの池に寄り添うように咲いています。

せせらぎの池は、墨で書いたようにどんより寒々しい。

寒さで背中を丸めて歩く私たちの心に、山茶花が、ほっと、あたたかな光を投げかけてくれるようです。

無彩色の景色に、彩りを加え、行き交う人の目を楽しませます。

まるで、冬枯れの公園に紅をさすよう。。。

七十二候「山茶始開」

中国には七十二候(しちじゅうにこう)という古代中国で考案された季節を表す方式のひとつで、江戸時代に入って暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂されだそうです。
気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっていいて、これはとても興味深いです。

その中の五十五候が「山茶始開」…つばきはじめてひらく

「山茶」と書いて「つばき」と読ませていますが、「山茶花」(さざんか)の花が始めて開く頃のことを言っています。

ちなみに五十六候は地始凍(ちはじめてこおる)です。

 

せせらぎ公園のイイギリの実と葉・せせらぎの先で手が届かない

せせらぎ公園のイイギリ

赤い実

せせらぎ公園に飯桐(イイギリ)の木があります。

イイギリの木には秋になると赤い葡萄のような房なりの実がなります。

大きな木です。

実を手で触れたいのですが、せせらぎの先ににあるので近寄れません。

イイギリの木
イイギリの木

甘くはないようですが、赤い実はとても綺麗で目を引きます。

南天に似た実がなるので南天桐とも言います。

鳥たちにとってあまり美味しい実ではないそうで冬の時期になるまで残っていて、寒くなった時期には重宝な食糧になるそうです。

イイギリの木の赤い実
イイギリの木の赤い実

ハート形の葉

葉は大きなハート形、昔ご飯をくるんだので、飯桐という名前がついているようです。

葉にも手が届かず。。。ご飯をくるんでみたいなぁー。

鳥さん、葉っぱを一枚とってきてくださいな。。。

お散歩楽し

先人たちはおにぎりを笹の葉に包んだり、ちまき、柏餅を竹の葉、カシの葉などにくるんだりしていました。

それは葉っぱの殺菌力、防腐効果などを利用して、食物を保存するという、素晴らしい先人たちの知恵です。

今でもそれは大いに真似をしたいですね?

とうてい届かぬイイギリの葉に手を伸ばしたり(笑)、そんなことを考えながらお散歩をする時間はかけがえのない楽しい時間です。

イイギリの木の赤い実
イイギリの木の赤い実

リビングで飼育中のザリガニの赤ちゃんがなんと体長15㎝までに成長!

ザリガニ

事の始まりは、せせらぎ公園で釣ったザリガニ。

そのザリガニから、1年半ほど前に生まれたザリガニの赤ちゃん、何百匹も生まれて結局この1匹が生き残っています。

つまりせせらぎ公園で釣ったザリガニが産んだ子供です

元気で大きくなりました。

基本ザリガニ用の餌をあげていますが、時々、魚や煮干しなどをあげたりしています。

魚は大好きのようで、抱え込むようにして食べています。

ザリガニ
ザリガニ

アメリカザリガニの女の子、メスです。

こんな感じでハサミを大きく広げ、威嚇(?)してみたりします。

足元にあるのは魚肉ソーセージですが(笑)、食べないことはないですが、あまり好きではなさそう。

魚をくれ~っと言っています。

すごく大きくて体長15㎝近くあります。

餌をせがむ(?)ザリガニ
餌をせがむ(?)ザリガニ

世話がちょっと大変

飼っていて大変なのはお掃除。

水が汚れますから、2週に1回ほど、水槽を洗います。

汚れた水は(当たり前ですが)泥臭いです。

水はカルキ抜きの意味で、一晩汲み置いたものを入れてあげます。

ザリガニであれ、生き物を飼うということは、楽しい気持ちもありますが、小さな命を預かったという責任もあり、結構大変です。

朝起きるとすぐ、そして帰宅するとすぐ、生存確認してしまいます。

気を付けないと脱走します。(笑)

 

徳生公園のアオサギ ミステリスな神の御使いベンヌ(ベヌウ)

徳生公園お散歩

神の御使いベヌウ

徳生公園、朝のお散歩。

池にはアオサギ。
アオサギは、古代ヨーロッパではもともとフェニックスの由来となる鳥「ベヌウ」とされていて、神のように崇拝されていたことから、アオサギは「神のお使い」といわれているそうです。
またネイティヴアメリカンにとっては、自己実現を象徴する聖なる鳥だとか。

日本でも「神の御使い」であるといわれていて、サギの飛来する場所は神域を意味し、魔や厄を祓うパワーがあるとのこと。

又、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」には、アオサギが重要な役で登場します。

 

Wikipediaより引用

徳生公園のアオサギ
徳生公園のアオサギ

人と鳥の関わり

昔々その昔。人間は鳥の声で朝が来たことを知り、渡り鳥で春の訪れ、秋の訪れを知ったりしていたわけですから、人間とは深い深い関りがあったわけですね?

それに人間には叶わない「飛ぶ」という力があったわけで、先人たちは鳥に対してあこがれがあったと思います。

徳生公園のアオサギ
徳生公園のアオサギ

ミステリアス

渡り鳥がいったいどこから来て、どこへ去っていくのか。

そういったミステリアスな部分が、更に「神のお使い」と呼ばれるようになった所以なんでしょう。

徳生公園のアオサギ
徳生公園のアオサギ

先人たちは雨や風や、嵐や雪などの大自然の中に神の力を見ていたと同時に、
生き物にも神の力を見ていたわけです。

徳生公園のアオサギ
徳生公園のアオサギ

足元にはどんぐり

そんなことに思いを馳せながら、ふと、足元を見るとどんぐり。

今年は暑くて、まだ上着も要らない日が多いですが、秋なんですね?

これはクヌギかな?↓
徳生公園のどんぐり
徳生公園のどんぐり
見上げると、なってます。なってます。
これは、コナラかな?↓
徳生公園のどんぐり
徳生公園のどんぐり

鴨の子の刷り込み(インプリンティング)は生存するための知恵

せせらぎ公園

せせらぎ公園で鴨の親子を見ました。

もうちょっと大きくなった子鴨ですが、まだ親鴨のそばに寄り添い泳いでいます。

親子のカルガモの姿は何度見ても可愛らしく微笑ましい。
写真右上が親ガモです。子ガモはふわふわの羽毛です。

カモの子育て

この頃、母親の育児放棄で幼い子供が亡くなったりするニュースを見ますが、こんな鴨の親子の姿から学んでほしいと思います。

鴨は、ツバメがするように、巣で待つヒナに親がせっせと餌を運ぶような育て方をしないんだそうです。
親ガモは、子ガモが生まれてすぐに、自力で泳ぎ、餌を獲ることを教えます。
カモの子育ては、まず自立させるわけですね。

そして外敵の攻撃などの危険が迫ると自分が犠牲になってでもに子ガモを守ろうとします。

このような鴨の親子を見ていると親子の絆について考えさせられます。

刷り込み(インプリンティング)

刷り込み(すりこみ、imprinting)とは、動物の生活史のある時期に、特定の物事がごく短時間で覚え込まれ、それが長時間持続する学習現象の一種。 刻印づけ、あるいは英語読みそのままインプリンティングとも呼ばれる。Wikipediaより

8羽の子ガモちゃん、可愛いです!

インプリンティングは鳥、カモなどのヒナが、卵から孵化して最初に見た「動くもの」を親と認識してしまうものです。
つまり実際は、生まれた直後は親の顔を知らない子鴨は、生まれた直後に見たものが絶対的な存在になってしまう
疑いもなく頼ってついていく様子はとってもいじらしくほほえましい。
つまりこれは、実際の親子かどうかとは別として、生存するための知恵なんだと思います。

「みにくいアヒルの子」と「グース」

「みにくいアヒルの子」が典型的な例でしょうか?
ご存知のとおり、アヒルの子として育った白鳥の子のお話。

あっ!それから昔見た映画「グース」
小さな雛グースたちが主人公の少女を親だと認識し、少女のあとをヨチヨチついていく光景を思い出します。
なんとか彼らが越冬地までとべるようにと少女は飛ぶことも教え込むお話。

 

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