「豆いっぱい豆大福」VS「豆大福(つぶあん)」餡子愛

餡子好きの私、ことに大福が好き。

それで、スーパーでよくヤマザキの豆大福(つぶあん)を買います。
70円位・・・オーケーストアでは58円。個包装。
コスパも良く、何より十分満足なお味です。

餡子の甘さもちょうどよく、お餅も柔らかく、豆もほんのり塩味、餡子とお豆とお餅のバランスがちょうどいい。
大きさも食べやすい大きさ。続けて3個食べたことも。。。(笑)

ヤマサキデイリーのお店の前にある看板が前から気になっていた「豆いっぱい豆大福」
さぁ!「豆いっぱい豆大福」はいかなるお味でしょう?
かなり大きいです。重さ120g ダイナミック!ボリューミー。
一個税込み150円。価格も倍以上。個包装無し!
蓋つき容器に並んでいてトングでとる形で売られていました。

ヤマザキの豆大福(つぶあん)よりズッシリ重い。こんな大福、初めてです!
えんどう豆が、ゴロゴロと、大きく存在感があり、しっかり歯ごたえがあります。
北海道産の赤えんどう豆を従来の豆大福の3倍使用使っているそうです、確かに。。。お豆の塩味が餡子の甘さを引き立てる。
お餅が薄く、餡がたっぷり。

豆大福好きな人って、えんどう豆と餡子のコラボが好きなんです。
これはかなり豆大福好きを狙った型破りな商品です。
もちとり粉が多くて、表面が白い。手が真っ白になってきます(笑)

「豆いっぱい蓬大福」。同じく税込150円。

よもぎ独特のいい香り!

私が餡子を食べたくなる時。それはちょっと疲れたとき。
心が満たされるものを食べることは疲れを飛ばしてくれる。

お汁粉、ぜんざいに始まり、柏餅、桜餅、どら焼き、きんつば・饅頭・・・あぁ餡子愛が止まらない。

どこのたい焼きの餡子がしっぽまで入っているか。。真剣に論議(?)になるし、つぶ餡・こし餡、どっち派(?)なんて論議になる。

餡子論争はヒートする。
菓子ジャンルでは、煎餅と並んで餡子は日本人のソウルフードなんですよね?

オシャモジ様 生きていく上での切実な祈り

都筑区の最大規模の公園「都筑中央公園」の北側、境田口を出た道路沿いに「オシャモジ様」があります。(茅ケ崎中央60)

樹が茂っていて通り過ぎてしまいます(笑)

茅ヶ崎町から移転してきたと聞きます。
お隣の民家で管理をしているそうです。

数段の階段の途中に、立て看板があり、字が薄くて読みにくいのですが、何とか下記の記載を確認しました。

咳の神 社宮司社 俗称「おしゃもじさま」である。風邪・喘息・百日咳などで咳に悩む人がこの社に上げてあるおしゃもじを持って帰り、喉を撫でると効き目があると言われる。快復すると今度は二本にしてお礼する。この神は社宮司、社宮神、遮寓璽、杓子、舎句子、石護神、赤口神などと色々に書かれている神である。社宮司は音が杓子と似ているので「しゃもじ」に転じたので、このような様々な字で表現されているものであろう。社宮司社は武蔵国を東限とし尾張・伊勢・飛騨の各国を西限とする地域に分布し、武蔵・相模の両国には四十社に近い数が見られた。御社宮司の祭は諏訪大社の重要な行事とされていることから知られるように、信濃国の諏訪大社の信仰圏内にこの神が分布している。

 

おしゃもじさまは、医療も行きわたらない昔、そのご利益を伝え聞いた人々が、病気の平癒を祈願した民間信仰の神様だそうです。
祠(ほこら)に奉納してあるしゃもじを借りてきてご飯をよそい食べさせると子どもの咳が治るといわれており、治るとお礼に新しいしゃもじを添えてお返しするので多くのしゃもじが奉納されました。
神奈川県には「オシャモジ様」が多く存在するようです。
戦前は奉納されたオシャモジが山をなしたようです。

オシャモジ様社には南京錠がされていますが、中に十数本のオシャモジが並んでいるのが見えました。↓

日本では「八百万の神(やおよろずのかみ)」といわれるように、たくさんの神様が信仰され、病い治癒をはじめ家内安全、縁結び、商売繁盛、豊作など、神様は日本人の生活にも深く溶け込んでいます。
いわば民間信仰は、人々が生きていく上での切実な祈りです。


絵本にも「よこはまのおしゃもじさま」があるそうです。
・・・むかしむかし、お医者さんやクスリがなかった頃のお話です。病気にかかったわが子を治すため、人々は「おしゃもじさま」にお参りをしたのです。・・・というお話。
歴史博物館の学芸員さんが作った絵本だそうです。

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のちめ不動尊 どこのどなたが?

「旧中原街道」と「県道102号線(荏田綱島線)」が交わるところが、
『のちめ不動前』の交差点。
『旧中原街道』に入り、少し進むと左手に石段の下にある石碑にがみえてきます。


20段ほどの階段を上りますと本堂があります。

のちめ不動尊は、今から約155年前・1864年(明治3年)天災があり、のちめの住人が八王子の山の上からお不動様を背負い、この地に勧誘したそうです。

どこのどなたが、八王子のどこのお山から運んできたのでしょうか?
天災から不動様を守るために運んできたのでしょうか?
それとも、不動様を信仰崇拝する一心で運んできてしまったのでしょうか?
「のちめ」を守ってほしかったのでしょうか?
考えてみれはすごいお話ですね?

ご本尊は不動明王像で、この像は口伝によると甲州武田家の守り神であった由緒あるものだそうです。炎を背負っているのでしょうか?拝みたいです!

 

本堂左側には、お釈迦様のお弟子さんのお賓頭(おびんずる)様が祀られています。↓

このお賓頭盧様のお話、聞いたことがあります。
お賓頭盧(おびんずる)様は、お釈迦さまのお弟子の一人で、神通力にすぐれていたそうですこの像をなぜて、自分の病気の場所をなぜると治ると伝わっているそうです。
昔この地域で疫病が流行したにもかかわらず、不動さんの御加護で、講中(同一の信仰を持つ人々による結社)からは死者が出なかったという言い伝えも残っています。

のちめ不動尊の由緒が書かれた石標。↓

「この不動尊は今から約130年前の文久2年(1864)、のちめの住人が八王子からお不動様を背負ってこの地に祀り、七世代にわたり地域の守り神として護持されて来ました。昔は山の上に鎮座されていましたが、天災の為現在の場所に安置さ れました。この間数回の改築補修がなされましたが、平成元年暮れに二メ・城山講中全員の発意により再建することになりました。平成3年3月多額の浄財をいただき造成工事、本堂の建設、仏像仏 具の修復等予定通り順調に進み同年10月下旬落慶法要を行いました。霊験あらたかなお不動様のお顔は怒りの相を現して右手に降摩の剣を左手には、ひもなわを持って火炎を背にして石の上に立っており悪魔煩悩(心や身体をなやます一切のまよい)を降服させて下さいます。また、本堂左側にはお釈迦様のお弟子さんのお賓頭様が祀られております。この像をなぜて病気の場所をなぜると病気が治ると言い伝えられています。今から約80数年前(明治末期から大正初期)、この地域に疫病が蔓延し多くの人々が亡くなりましたが、この講中からはお不動様の御加護により死者がなかったと言い伝えられています。毎年7月27日(前夜祭)には地域の住民が全員集まり1年の無事と幸せを祈願しています。崇敬者の皆様に末永くお不動様の御加護がありますよう御祈念いたします。平成六年十二月吉日建之

これは、のちめ不動尊の修理の落成の碑でしょうか?↓
「のちめ不動 御法落慶 天高し」そして「群盲十三世 和夫 平成三年十月吉日」とあります。

のちめ不動尊の「のちめ」は昔のこの地域の名称のようです。

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茅ヶ崎・杉山神社 豊かな自然に抱かれて

都筑区最大の公園「都筑中央公園」の東側に神社「茅ヶ崎杉山神社」があります。
ここは、たくさんある杉山神社の本社として権威ある4社のうちの一つと聞きます。

まず一の鳥居があります。

近くに大きなイチョウの木があります。


足元に銀杏が落ちています。

一の鳥居の前には、こんな碑が。
「良き道辿れば 良き里あり 港北ニュータウン発祥の地」

地域が良いプロセスをたどり努力を重ねれば、良いふるさととなります。という意かな?
港北ニュータウンは今や住む人々にとって最高の「良き里」になりました。

 

「神社合祀記念碑」
その裏に由緒が書かれています。
「天武天皇白鳳3年に安房神社神主の忌部勝麿呂が御神託によって、武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命・天日和志命・由布津主命の三柱を祀った「杉山神社」とした」のが由来・・・らしいです。

長い60段の石段の途中に二の鳥居があります。
二の鳥居は、朱塗り鳥居です。

ちょっと息切れしながら(笑) 石段を上り詰めると、境内です。
左手に手水舎があります。手を清めます。


正面に拝殿があります。
社祭神は、高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命)

左手手水舎奥に、稲荷さんの鳥居があります。

鳥居の奥に一対のキツネが鎮座しています。
お顔はちょっとけわしい表情です。

急な階段60段です。
どうして神社仏閣には石段があるのでしょう??

一段一段 石段を登って、邪念を捨てて無心になり、清められ、お寺に辿り着き、御仏に手を合わせる。
心の準備の石段かしら。
そんなことを考えながら石段を下ると、手すりにつかまって登るおばあさまとすれ違いました。

茅ヶ崎杉山神社は、こじんまりとしていますが、都筑中央公園という豊かな自然に抱かれた神社です。
凛とした、清しい空気が流れています。

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崎陽軒港北インター店 シウマイ出来立てホヤホヤ

横浜市都筑区川向町(第三京浜港北インターの近く)に崎陽軒の横浜工場があります。その敷地に港北インター店という横浜工場の直売所があります。
なんたって工場横ですから、出来立てホヤホヤだという気がして、ここでよくシウマイを買います。

そうそう、、崎陽軒の焼売はシュウマイでなくシウマイなんですよね?
崎陽軒のシウマイが美味しすぎて、なんとか自分で作れないものか、頑張って試行錯誤したことがあります。崎陽軒のシウマイレシピと検索すると山ほどレシピが出てきますが、結局崎陽軒の味にはなりませんでした。国産豚肉、玉ねぎ、帆立貝柱、グリーンピース、塩、砂糖、胡椒、澱粉だけだと聞きます。発売当時から変わらないレシピで作られていると聞きます。
でも同じ味は出せません。

冷めても美味しい。チンしても美味しい。大好きです。
サイズも小さめでいいですね?子供の頃から食べてます。

そうそう、この醤油入れも大好きです。たしか、ひょうちゃん!
いろんなパターンがあって、楽しいです。

 

今日は30個入り1230円を購入!

 

ふたを開けると、あの独特のいい匂いが漂います。
そうそう、車にいれて置くとばれちゃうぐらい匂います。
電車に乗っても「美味しい匂い」が漂います。

今や、すっかり横浜名物となっている「シウマイ」。
もっぱら「昔ながらのシウマイ」で、シウマイ弁当はあまり食べたことが無いのですが、次回買ってみます。

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大塚歳勝土遺跡公園 古代人の声なき声を感じ

センター北駅ほど近い大塚歳勝土遺跡公園。
今から50年近く前の1972年、港北ニュータウン開発の際にこの遺跡が見つかったというから驚きです。
今から約二千年前の弥生時代の集落とその墓地で、こんなに大規模で完全な形で発掘されたのは極めて稀らしいです。その後、国の史跡に指定されています。

これは本当に見る価値有。
広々とした緑豊かな公園として整備されています。

集落は外からの敵を防ぐために周囲には濠がめぐらされていたらしく、今もそんな形に復元しています。当時は100人くらいの人々が暮らしていたようです。遺跡内には、竪穴住居七棟をはじめ、高床倉庫、型取り遺構、木橋などが復元されています。ここにいるとタイムスリップしたような気分になります。

中はこんな感じ👇

地面を掘り下げて柱を立て、かやなどで屋根をおおった建物です。
建物の中央には炉が作られていたようです。

これは↓復元された高床倉庫です。
収穫した稲などを収めておく倉庫です。
穀物を湿気から守るために床を高くし、上り下りには梯子を使ったことが銅鐸にも描かれているそうです。
柱にはねずみの侵入を防ぐネズミ返しが施してあります。

これは環濠。
外敵から守るために、外周600m深い溝と柵が施され、ムラ(集落)を囲っています。

歳勝土遺跡から見つかった方形周溝墓 ↓ 大塚遺跡に住んでいた人の墓跡。
棺を納めていたと考えられます。

勝歳土遺跡の東側には「都筑民家園」があります。
都筑郡牛久保村(現在の都筑区牛久保町)にあった旧長沢家を移築したそうです。ひな祭りなど日本の伝統文化に関わる様々なイベントが開催されます。
家の中は囲炉裏やかまどもあり、昔の人々の生活を垣間見るような気がします。

勝歳土遺跡公園では、昔の人々の生活や知恵など、肌で感じることができます。
遺跡が語りかけてくる古代人の声なき声を感じます。

古代人のメッセージに耳をすまし、歴史の糸をたどる。
昔の人々の考えたこと、生きた人生に思いを馳せるひと時となりました。

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小麦粉香る「バケット南」

朝一番に「ベーカリー南」に。
横浜市営地下鉄「センター南」にあるパン屋さんです。

店内色々なパンが並びますが、ことにハード系のパンが絶品です。

 

今日のお目当ては「バゲット南」、なんだか急にバケットを食べたくなって。

ドライフルーツ、オリーブ、ソーセージなど具の入ったフランスパンも並びます。小型のバケットもあります。


クープ(切れ込み)の入れ方がちょっと個性的で、斜めに何本かのクープではなく、一本まっすぐクープが入っていて、綺麗に開いています。

「イーストの使用を最小限に抑え、低温長時間発酵を行うことで粉の旨みを引き出しました」と書かれています。

もちもちシコシコとしっかりした歯ごたえの生地。
パリッとした皮の香ばしい味わい。
かじるとしっかりと小麦の旨味が口に広がります。
酸味は少なく感じます。
気泡も、大小バランスよく入っています。


フランス産小麦を使用と聞きます。

今日は、フレッシュトマトとクリームチーズのブルスケッタ。

そしてドライイチジクとクリームチーズのブルスケッタ。
どちらも美味しい!美しい!

1本のバケットで味わい満喫。
やっぱりバケットの美味しさは噛めば噛むほど膨らむ小麦粉の香り。

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イチジクの木 禁断の果実?

池辺富士の近くの畑にイチジクの木が!

昔は庭木でよく見かけたのにこの頃は珍しいです。

 

ちゃんとなっている!

その後すぐ近くのメルカートきたでイチジクを買いました。

「バナーネ」フランスからやってきた白イチジク。

この頃、イチジクの美味しさに目覚めたというか!今年はよくメ
ルきたさんで購入しました。
プチプチ食感が好き!ドライイチジクも好き!

いちじくは漢字で「無花果」、花が無い果物と書きますが、この割った無花果の粒々が花なんですって。実の中に花があるんですね。粒々(花)は2800個もあるんです。実だと思ってたものが花だなんてイチジクは不思議な果実。

広辞苑に「ザクロとブドウとならび、世界的に最も古い果実の一」と記載されています。なるほど。。。。
旧約聖書に書かれているほど昔から存在するようです。

そうそう。。。無花果で思い出すのはアダムとイヴが食べたという知恵の木の実の話。 この知恵の木の実はリンゴだという説、無花果だという説。はたまた、バナナ説、ブドウ説もあり???
絵柄的にはリンゴであって欲しいけど。。

でも、知恵の木の実を食べて自身の陰部を隠すのに使った葉は他ならぬ無花果の葉。だから無花果だったのでは?思いを巡らし無花果を「いただきます!」

ヨーグルトにトッピング。ヘルシーです。贅沢に一個をくし形に切り。。。
生いちじくは今しか食べれないからね。

それからトーストの上にいちじく。これ、私流。
ドライブルーベリーとクコの実を散らしていただきます!メチャウマ!

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池辺富士 トトロの森みたいな

横浜市都筑区には、3つの富士塚があります。
正しくは3基というそうです。
富士信仰による人工的な偽富士山です。
山田富士 川和富士 池辺富士です。
三つの富士塚はそれぞれに素晴らしいと感じます。

今日は池辺富士のご紹介!
付近は農業専用区域で広い畑が広がっています。

 

この池辺富士は1796年(寛政8年)に作られたものです。
東側に鳥居があります。
前回この塚に登ったのは、2012年。7年前。
木の鳥居でした。↓

新しい鳥居になっていました。

上には浅間社と書かれています

鳥居の先は、うっそうと草木が茂っていますが、なんとか登れます。


小さな道と階段を登っていくとあっという間に頂上にたどり着きます。

高さは8mほどだと聞きます? 小さなお山。

頂上に小さな石の祠が祀られていて、その横には手水鉢があります。

 

この地帯が丘になっていて標高50-60mはあるので、高さはそう高くないけど見晴らしは良いです。


晴れた日には富士山、ランドマークタワー、横浜ベイブリッジなど。。

夜景を望んでみたいところですが、夜は怖いな!

富士信仰こそが、富士山登山の原点だと感じます。

私も昔富士登山をしたことがありますが、富士の息吹、自然の偉大さを感じる経験となりました。
先人たちにとっては、富士山は、もっと大きな存在だったでしょう?
私も手を合わせます。
「これで富士山に登ったのと同じご利益が賜れるありがたいことだ。」と富士講の人々と同じように考えたりします。
富士塚はどなたが管理者なんでしょう?

↓5年前の池辺富士

5年前の池辺富士
5年前に比較して木々がボサボサに茂り放題、円錐形の小山の形状が分からなくなってしまっているのが残念でした。
西側から畑越しに眺めると、全体を見渡せるので、良い角度です。
円錐形に、木々。
このこんもりとした可愛らしい姿が好きでした。
何だか「ととろの森」みたいで・・・。

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西方寺の曼殊沙華(彼岸花)

知人に新羽の「西方寺」というお寺では、見事な彼岸花(曼殊沙華)が見れると聞いて行ってみました。
「西方寺」は、港北区の西端、最も都筑区寄りに位置します。

「西方寺」は真言宗のお寺で、1190年に鎌倉の笹目という場所に創建され、鎌倉にある極楽寺の支院を経て現在の港北区新羽の地に1492年に移転してきたそうです。

長い参道には左右に彼岸花(曼殊沙華)が咲き誇り、石段を上り詰めると、山門が見えてきます。

山門をくぐると約300年前に建立されたという大きな茅葺きの本堂の本堂が迎えてくれます。茅葺きのお寺さんて初めて見ました。
こんなに素晴らしいお寺さんがあったことを私は知りませんでした。

本堂 鐘楼 山門など横浜市指定有形文化財だそうです。

本堂の庭にはピンクの彼岸花(曼殊沙華)が咲き誇っていました。

「花の寺」としても有名で、冬から春には桜、蠟梅、椿、クリスマスローズ、
には、アヤメ、ニッコウキスゲ。、ツツジ、紫陽花
秋には、彼岸花、萩など、一年を通してお花を楽しめるそうです。

ちょうどお彼岸の時期に咲く花で、彼岸花(ヒガンバナ)とかリコリスと呼ばれます。私は「曼殊沙華」という呼び名が好きです。

ことに、赤色の曼珠沙華ではなく、白や黄、ピンクと珍しい色の曼珠沙華が咲いていました。私は赤い曼殊沙華しか知りませんでしたので驚きです!

約30cm位の茎の上に、6枚の細い花びらを放射状に咲かせます。まず花が咲き、葉は花が終わってから伸びてきます。

その葉と花を一緒に見ることがない性質から「葉見ず花見ず」と呼ばれ、昔の人は恐れをなして、死人花(しびとばな)や地獄花(じごくばな)幽霊花、剃刀花、狐花、捨子花、毒花などと読んだようです。

あまりにひどい呼び方です。

古くなりますが山口百恵の「曼殊沙華」という歌を思い出します。
白い夢さえ深紅に染める♪♪
私が感じる曼殊沙華の花のイメージは「炎」や「情念」。
「内に秘めた熱い想い」を感じます。

曼殊沙華は球根部分に毒を有しているため、動物たちから守る守護神的な意味も含めてお寺に植えるのかもしれません。秋晴れの青い空を背景に、咲く彼岸花はとても美しいです。開花時期も彼岸の時期一週間ほどという「花の命」です。

 

駐車場から参道に入る付近に「日露戦役記念碑」があります。

この記念碑の片隅に一輪の彼岸花が咲いていました。一輪寂しそうに咲く彼岸花も美しいです。