のちめ不動尊 どこのどなたが?

「旧中原街道」と「県道102号線(荏田綱島線)」が交わるところが、
『のちめ不動前』の交差点。
『旧中原街道』に入り、少し進むと左手に石段の下にある石碑にがみえてきます。


20段ほどの階段を上りますと本堂があります。

のちめ不動尊は、今から約155年前・1864年(明治3年)天災があり、のちめの住人が八王子の山の上からお不動様を背負い、この地に勧誘したそうです。

どこのどなたが、八王子のどこのお山から運んできたのでしょうか?
天災から不動様を守るために運んできたのでしょうか?
それとも、不動様を信仰崇拝する一心で運んできてしまったのでしょうか?
「のちめ」を守ってほしかったのでしょうか?
考えてみれはすごいお話ですね?

ご本尊は不動明王像で、この像は口伝によると甲州武田家の守り神であった由緒あるものだそうです。炎を背負っているのでしょうか?拝みたいです!

 

本堂左側には、お釈迦様のお弟子さんのお賓頭(おびんずる)様が祀られています。↓

このお賓頭盧様のお話、聞いたことがあります。
お賓頭盧(おびんずる)様は、お釈迦さまのお弟子の一人で、神通力にすぐれていたそうですこの像をなぜて、自分の病気の場所をなぜると治ると伝わっているそうです。
昔この地域で疫病が流行したにもかかわらず、不動さんの御加護で、講中(同一の信仰を持つ人々による結社)からは死者が出なかったという言い伝えも残っています。

のちめ不動尊の由緒が書かれた石標。↓

「この不動尊は今から約130年前の文久2年(1864)、のちめの住人が八王子からお不動様を背負ってこの地に祀り、七世代にわたり地域の守り神として護持されて来ました。昔は山の上に鎮座されていましたが、天災の為現在の場所に安置さ れました。この間数回の改築補修がなされましたが、平成元年暮れに二メ・城山講中全員の発意により再建することになりました。平成3年3月多額の浄財をいただき造成工事、本堂の建設、仏像仏 具の修復等予定通り順調に進み同年10月下旬落慶法要を行いました。霊験あらたかなお不動様のお顔は怒りの相を現して右手に降摩の剣を左手には、ひもなわを持って火炎を背にして石の上に立っており悪魔煩悩(心や身体をなやます一切のまよい)を降服させて下さいます。また、本堂左側にはお釈迦様のお弟子さんのお賓頭様が祀られております。この像をなぜて病気の場所をなぜると病気が治ると言い伝えられています。今から約80数年前(明治末期から大正初期)、この地域に疫病が蔓延し多くの人々が亡くなりましたが、この講中からはお不動様の御加護により死者がなかったと言い伝えられています。毎年7月27日(前夜祭)には地域の住民が全員集まり1年の無事と幸せを祈願しています。崇敬者の皆様に末永くお不動様の御加護がありますよう御祈念いたします。平成六年十二月吉日建之

これは、のちめ不動尊の修理の落成の碑でしょうか?↓
「のちめ不動 御法落慶 天高し」そして「群盲十三世 和夫 平成三年十月吉日」とあります。

のちめ不動尊の「のちめ」は昔のこの地域の名称のようです。

都筑区のお部屋探しはアベイルへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です