川和富士と冨士信仰

都筑区には、富士信仰による富士塚、ミニ富士が3つあります。
山田富士 池辺富士 そして川和富士・・・・その中で一番大きいのが川和富士です。

川和富士は江戸時代の末に築かれた富士塚だそうで、もとは川和高校の付近にあったのがお引越?移転したらしいです。

階段はまっすぐ頂上に向かう階段と、周りをぐるりと回る小道があります。
まずは、まっすぐ階段を登り頂上へ。

標高は74メートルで頂上に立つと、360度視界が開けます。
気持ちがいいです!
川和富士には木が無いので、視界を遮るものがありません。
晴れた日には富士山、みなとみらい21、新宿副都心の高層ビルまで望めます。
今日は晴れているのですが南西の富士山方向の遠くの空に雲が立ち込めており見れませんでした。。残念。

 

⇑ 川和富士頂上から北側眺望

⇑ 川和富士頂上から西側眺望

⇑ 川和富士頂上から南方面眺望です

公園の敷地は北を上にするとひし形で、「川和富士」が東側、川和富士の南横に小さな丘、大きな広場が西側。

👇大きな広場です。


公園の北東側は「ゆうばえのみち」という名のグリーンマトリックスに接しています。


今は多くの人がレジャーとして登山を楽しんでいますが、日本では古代から「登拝」という形で、信仰登山が行われてきました。
富士山は神様が宿る山と信じられており、富士山に登拝する・・・つまり富士登山は、神社に参拝に行くことに近かったんですね。
豊作祈願、疫病除けなどを拝んだのでしょう。
そこで、富士山に登れない人のために、あちこちに作られたのが「富士塚」、いわばミニ富士山です。
「なかなか行けないなら作ればいい」と考えたわけですね

昔、江戸から富士山への旅は容易ではなかったと思いますから・・・。

👇富獄三十六景 諸人登山 葛飾北斎

当時は「江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講」と当時は江戸のすべての町に富士講があり、富士山参りのコミュニティがあったわけですね。
すごいですねぇ。
江戸時代中期から末期にかけて隆盛を誇った富士講は、江戸の庶民が支持した大きな民間信仰だったということです。

そんな歴史を感じながら川和富士をめぐりました。

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